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広島城は、豊臣秀吉の五大老の一人として知られる毛利輝元が築いた典型的な平城です。江戸時代には、福島氏…

広島城は、豊臣秀吉の五大老の一人として知られる毛利輝元が築いた典型的な平城です。江戸時代には、福島氏、次いで浅野氏が居城していました。築城以来の天守閣は昭和6(1931)年に国宝に指定されましたが原爆によって倒壊…

昭和58年、水軍のふるさと因島に築城された、全国でもめずらしい城型の水軍資料館です。村上水軍は南北朝…

昭和58年、水軍のふるさと因島に築城された、全国でもめずらしい城型の水軍資料館です。村上水軍は南北朝から室町戦国時代にかけて、この辺りの海路を制覇し、水軍王国として活躍しました。八幡大菩薩の旗を掲げ、朝鮮半島から…

元和8年(1622年)に水野勝成が築城した江戸時代における名城。昭和20年8月、空襲により天守閣など…

元和8年(1622年)に水野勝成が築城した江戸時代における名城。昭和20年8月、空襲により天守閣などは消滅しましたが、昔日の姿を留める伏見櫓・筋鉄御門は国の重要文化財に指定されています。また、その城跡は国の史跡と…

初代藩主吉川広家によって1608年に作られた三層四階の桃山風南蛮造りの山城で、眼下を流れる錦川を天然…

初代藩主吉川広家によって1608年に作られた三層四階の桃山風南蛮造りの山城で、眼下を流れる錦川を天然の外堀にし、標高約200メートルの城山山頂に位置していました。 しかし、築城後8年で一国一城制により取り壊され…

広島城は、天正17年(1589)中国地方の大半を領有する戦国大名・毛利輝元によって太田川デルタに築城…

広島城は、天正17年(1589)中国地方の大半を領有する戦国大名・毛利輝元によって太田川デルタに築城を開始されました。同時に城下町の建設も進められました。関ヶ原の合戦後、毛利氏に代わって入城した福島正則は、広島城…

永禄10年(1567年)毛利元就の子、小早川隆景が新たな拠点とするため、沼田川河口の大島・小島をつな…

永禄10年(1567年)毛利元就の子、小早川隆景が新たな拠点とするため、沼田川河口の大島・小島をつないで三原城を築きました。海に浮かんでいるように見え、“浮城”とよばれ、日本で最初に海の中から立ち上げた高石垣があ…

毛利元就の三男小早川隆景は、12歳で竹原小早川の城主となりました。その後、沼田小早川を相続し二つの小…

毛利元就の三男小早川隆景は、12歳で竹原小早川の城主となりました。その後、沼田小早川を相続し二つの小早川氏をまとめました。1年後、副塁としていた沼田川対岸の砦を修築し“新高山城”を築き、約45年間本拠として使いま…

福山城博物館は,1966年(昭和41年)に再建された天守閣の中にあります。 近現代から原始古代まで…

福山城博物館は,1966年(昭和41年)に再建された天守閣の中にあります。 近現代から原始古代までの「福山の歴史と文化」を展示しており,福山藩や藩主に関する書画・刀剣・甲冑の他,草戸千軒町遺跡や原始・古代の出土…

広島市森林公園内の鷹の条山に、毛利元就時代の山城を再現した展望台が1997年にオープンしました。時代…

広島市森林公園内の鷹の条山に、毛利元就時代の山城を再現した展望台が1997年にオープンしました。時代考証に基づき、高さ10メートルの本丸をはじめ二の丸、三の丸、番小屋、櫓門、冠木門で構成されています。中世の山城の…

応仁の乱、その激しい戦ぶりから「鬼吉川」と恐れられた吉川(きっかわ)氏の本拠。石見(いわみ)国(島根…

応仁の乱、その激しい戦ぶりから「鬼吉川」と恐れられた吉川(きっかわ)氏の本拠。石見(いわみ)国(島根県西部)に本拠を置いていた吉川経見(つねはる)が、新庄に移し15世紀前半に本城としたとされ、以後1545年に興経…

北広島町大朝新庄盆地の南に位置する日野山(標高705m、比高300m)の山頂に築かれた大規模な山城。…

北広島町大朝新庄盆地の南に位置する日野山(標高705m、比高300m)の山頂に築かれた大規模な山城。 1550(天文19)年に吉川元春が入城してから 三男広家が1591(天正19)年に居城を出雲の富田月山城に…

【国史跡・日本100名城】標高390m 比高190m 東西1.1km 南北0.9km 戦国武将毛…

【国史跡・日本100名城】標高390m 比高190m 東西1.1km 南北0.9km 戦国武将毛利元就が居城とした郡山城は、可愛川えのかわと多治比川たじひがわの合流点の北側に位置し、吉田盆地を見渡す場所に築か…

慶長9年(1604年)に城づくりの名人・藤堂高虎が築いた城。全国的にもまれな海水を堀に引き入れた海岸…

慶長9年(1604年)に城づくりの名人・藤堂高虎が築いた城。全国的にもまれな海水を堀に引き入れた海岸平城で、5層6階の天守閣は展望台、展示室になっており、武具、甲冑、刀剣など2,500点を常設しています。 平成…

戦国時代の武将平賀氏の居城跡です。1523年、尼子氏の鏡山城攻略を機に平賀氏は尼子側に転じ、頭崎山に…

戦国時代の武将平賀氏の居城跡です。1523年、尼子氏の鏡山城攻略を機に平賀氏は尼子側に転じ、頭崎山に築城しました。頭崎には平賀興貞が入城、後に大内方に服した父・弘保と対立し、失地回復にのりだした大内義隆の大軍との…

本拠高山城の西に対する新高山城は,妻高山城の対塁とし ての役割を果していたが,小早川隆景が天文末年…

本拠高山城の西に対する新高山城は,妻高山城の対塁とし ての役割を果していたが,小早川隆景が天文末年にこの城 の大修築を行ない,以来天正年間に三原城を築いて移るま で本拠としたところである。安土城などとともに…

広島市南東部にある黄金山は,かつては海に浮かぶ島で,広島港のほぼ全域を見渡せる海上交通の要 衝であ…

広島市南東部にある黄金山は,かつては海に浮かぶ島で,広島港のほぼ全域を見渡せる海上交通の要 衝であった。室町時代この島の最高部に仁保城がありかつて郭・石垣が残存していたが,テレビ送信所建設に伴い現在はほとんど原…

郡山城から北西4キロメートルに位置し、毛利元就が4才の時、父弘元に連れられ本城郡山城から移り、27才…

郡山城から北西4キロメートルに位置し、毛利元就が4才の時、父弘元に連れられ本城郡山城から移り、27才で郡山城の本家相続までの青少年期をすごした城です。本丸は標高376メートル、比高120メートル、本丸の南側には土…

沼田小早川氏の一族の多くは、活路を海へ求めました。その一つ、浦氏の城です。交通上の要地にある海上につ…

沼田小早川氏の一族の多くは、活路を海へ求めました。その一つ、浦氏の城です。交通上の要地にある海上につき出した、標高25mの小丘の上にあります。城の北方にある勝運寺には、浦宗勝の画像や墓など、城主であった浦氏ゆかり…

戦国時代の武将平賀氏の居城跡です。第1の居城であった御薗宇城が平地にあり、戦さに適さないため、新たに…

戦国時代の武将平賀氏の居城跡です。第1の居城であった御薗宇城が平地にあり、戦さに適さないため、新たに平賀弘保により築城されました。この城は平賀氏の領地のほぼ中央に位置し、四方を眺望でき、白市の町を眼下に見渡せるほ…

西条盆地のほぼ中央、標高260~330mにある城跡は、山頂に御殿場をおき、中のダバ、下のダバ、畝状竪…

西条盆地のほぼ中央、標高260~330mにある城跡は、山頂に御殿場をおき、中のダバ、下のダバ、畝状竪堀群、井戸などの遺構が大変良好に残っている中世山城で、国の史跡に指定されています。 室町期に山口の大内氏により…