65ありました

広島城は、豊臣秀吉の五大老の一人として知られる毛利輝元が築いた典型的な平城です。江戸時代には、福島氏…

広島城は、豊臣秀吉の五大老の一人として知られる毛利輝元が築いた典型的な平城です。江戸時代には、福島氏、次いで浅野氏が居城していました。築城以来の天守閣は昭和6(1931)年に国宝に指定されましたが原爆によって倒壊…

元和8年(1622年)に水野勝成が築城した江戸時代における名城。昭和20年8月、空襲により天守閣など…

元和8年(1622年)に水野勝成が築城した江戸時代における名城。昭和20年8月、空襲により天守閣などは消滅しましたが、昔日の姿を留める伏見櫓・筋鉄御門は国の重要文化財に指定されています。また、その城跡は国の史跡と…

全国でもめずらしい城型の水軍資料館

昭和58年、水軍のふるさと因島に築城された、全国でもめずらしい城型の水軍資料館です。 村上水軍は南北朝から室町戦国時代にかけて、この辺りの海路を制覇し、水軍王国として活躍しました。 八幡大菩薩の旗を掲げ、朝鮮…

【国史跡・日本100名城】標高390m 比高190m 東西1.1km 南北0.9km 戦国武将毛…

【国史跡・日本100名城】標高390m 比高190m 東西1.1km 南北0.9km 戦国武将毛利元就が居城とした郡山城は、可愛川えのかわと多治比川たじひがわの合流点の北側に位置し、吉田盆地を見渡す場所に築か…

初代藩主吉川広家によって1608年に作られた三層四階の桃山風南蛮造りの山城で、眼下を流れる錦川を天然…

初代藩主吉川広家によって1608年に作られた三層四階の桃山風南蛮造りの山城で、眼下を流れる錦川を天然の外堀にし、標高約200メートルの城山山頂に位置していました。 しかし、築城後8年で一国一城制により取り壊され…

毛利元就の三男小早川隆景は、12歳で竹原小早川の城主となりました。その後、沼田小早川を相続し二つの小…

毛利元就の三男小早川隆景は、12歳で竹原小早川の城主となりました。その後、沼田小早川を相続し二つの小早川氏をまとめました。1年後、副塁としていた沼田川対岸の砦を修築し“新高山城”を築き、約45年間本拠として使いま…

応仁の乱、その激しい戦ぶりから「鬼吉川」と恐れられた吉川(きっかわ)氏の本拠。石見(いわみ)国(島根…

応仁の乱、その激しい戦ぶりから「鬼吉川」と恐れられた吉川(きっかわ)氏の本拠。石見(いわみ)国(島根県西部)に本拠を置いていた吉川経見(つねはる)が、新庄に移し15世紀前半に本城としたとされ、以後1545年に興経…

福山城博物館は,1966年(昭和41年)に再建された天守閣の中にあります。 近現代から原始古代まで…

福山城博物館は,1966年(昭和41年)に再建された天守閣の中にあります。 近現代から原始古代までの「福山の歴史と文化」を展示しており,福山藩や藩主に関する書画・刀剣・甲冑の他,草戸千軒町遺跡や原始・古代の出土…

広島城は、天正17年(1589)中国地方の大半を領有する戦国大名・毛利輝元によって太田川デルタに築城…

広島城は、天正17年(1589)中国地方の大半を領有する戦国大名・毛利輝元によって太田川デルタに築城を開始されました。同時に城下町の建設も進められました。関ヶ原の合戦後、毛利氏に代わって入城した福島正則は、広島城…

標高187メートル、中世の模範的な山城と言われています。周辺には寺跡、居館跡、石風呂跡が残っていたと…

標高187メートル、中世の模範的な山城と言われています。周辺には寺跡、居館跡、石風呂跡が残っていたと伝えられています。頂上の一の郭には城の守護神がまつられ、二の郭には井戸跡があり一の郭の南側に三の郭の遺構が残って…

永禄10年(1567年)毛利元就の子、小早川隆景が新たな拠点とするため、沼田川河口の大島・小島をつな…

永禄10年(1567年)毛利元就の子、小早川隆景が新たな拠点とするため、沼田川河口の大島・小島をつないで三原城を築きました。海に浮かんでいるように見え、“浮城”とよばれ、日本で最初に海の中から立ち上げた高石垣があ…

この城館跡は室町・戦国時代(15~16世紀)に今田氏が拠った北広島町今田の谷の最奥部に位置する城館遺…

この城館跡は室町・戦国時代(15~16世紀)に今田氏が拠った北広島町今田の谷の最奥部に位置する城館遺構である。 城郭は今田の谷の最奥部南側に今田川を臨む標高461m(比高110m)の最高所から南東側に延びる尾根…

慶長9年(1604年)に城づくりの名人・藤堂高虎が築いた城。全国的にもまれな海水を堀に引き入れた海岸…

慶長9年(1604年)に城づくりの名人・藤堂高虎が築いた城。全国的にもまれな海水を堀に引き入れた海岸平城で、5層6階の天守閣は展望台、展示室になっており、武具、甲冑、刀剣など2,500点を常設しています。 平成…

鎌倉時代以来320年にわたって嚴島神社や佐伯郡一帯の神領を治めていた厳島神主家の居城址。桜の名所でも…

鎌倉時代以来320年にわたって嚴島神社や佐伯郡一帯の神領を治めていた厳島神主家の居城址。桜の名所でも知られ、現在は昭和の桂公園の造成により、わずかに郭跡と思われるものが残っています。毛利元就と陶晴賢が戦った厳島合…

瀬戸内海沿岸航路の要港,三津・風早などの泊のあった地に築かれ,現在は畑地化しているが,郭は標高40m…

瀬戸内海沿岸航路の要港,三津・風早などの泊のあった地に築かれ,現在は畑地化しているが,郭は標高40m余の微高地を中心に南北4段を配す。風早の観音寺は城主林氏の菩提寺と伝えられ,林氏ゆかりの五輪塔数基を残す。  …

福島正則により築城されたこの城は,地形が亀の伏した形に似ていたので亀居城と称されたが完成まもなく幕府…

福島正則により築城されたこの城は,地形が亀の伏した形に似ていたので亀居城と称されたが完成まもなく幕府の圧力で破却された。現在は石垣のみ修復されている。

因島の南部,かつて海中の一小島であり,現在城山は日立造船内にあり本丸と思われる跡は旧状をとどめず。本…

因島の南部,かつて海中の一小島であり,現在城山は日立造船内にあり本丸と思われる跡は旧状をとどめず。本丸から南西に3段の郭がのび船隠しにつながる。北上する村上氏が因島に構えた最初の拠点かと思われる。  ― 「平成…

猿喰城は,観応元年毛利親衡に呼応した山県為継,壬生道忠が拠った所で,安芸国守護武田氏信によって攻略さ…

猿喰城は,観応元年毛利親衡に呼応した山県為継,壬生道忠が拠った所で,安芸国守護武田氏信によって攻略された。 標高795m 登山口「本地別所(工業団地)」 登山所要時間2時間 山頂にNTTの電波塔が立ってい…

広島市南東部にある黄金山は,かつては海に浮かぶ島で,広島港のほぼ全域を見渡せる海上交通の要 衝であ…

広島市南東部にある黄金山は,かつては海に浮かぶ島で,広島港のほぼ全域を見渡せる海上交通の要 衝であった。室町時代この島の最高部に仁保城がありかつて郭・石垣が残存していたが,テレビ送信所建設に伴い現在はほとんど原…

郡山城から北西4キロメートルに位置し、毛利元就が4才の時、父弘元に連れられ本城郡山城から移り、27才…

郡山城から北西4キロメートルに位置し、毛利元就が4才の時、父弘元に連れられ本城郡山城から移り、27才で郡山城の本家相続までの青少年期をすごした城です。本丸は標高376メートル、比高120メートル、本丸の南側には土…