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戦国武将 毛利元就が居城とした中国地方最大級の山城跡

【国史跡・日本100名城】標高390m 比高190m 東西1.1km 南北0.9km 戦国武将毛利元就が居城とした郡山城は、可愛川えのかわと多治比川たじひがわの合流点の北側に位置し、吉田盆地を見渡す場所に築か…

毛利氏、福島氏、浅野氏と城主を変えながら広島藩の拠点となった城

広島城は、1589年に豊臣秀吉の五大老の一人として知られる毛利輝元によって築城されました。同時に城下町の建設も進められ、関ヶ原の合戦後、毛利氏に代わって入城した福島正則は、広島城の整備をさらに進め、西国街道を町人…

毛利元就の三男小早川隆景は、12歳で竹原小早川の城主となりました。その後、沼田小早川を相続し二つの小…

毛利元就の三男小早川隆景は、12歳で竹原小早川の城主となりました。その後、沼田小早川を相続し二つの小早川氏をまとめました。1年後、副塁としていた沼田川対岸の砦を修築し“新高山城”を築き、約45年間本拠として使いま…

応仁の乱、その激しい戦ぶりから「鬼吉川」と恐れられた吉川(きっかわ)氏の本拠。石見(いわみ)国(島根…

応仁の乱、その激しい戦ぶりから「鬼吉川」と恐れられた吉川(きっかわ)氏の本拠。石見(いわみ)国(島根県西部)に本拠を置いていた吉川経見(つねはる)が、新庄に移し15世紀前半に本城としたとされ、以後1545年に興経…

全国でもめずらしい城型の水軍資料館

昭和58年、水軍のふるさと因島に築城された、全国でもめずらしい城型の水軍資料館です。 村上水軍は南北朝から室町戦国時代にかけて、この辺りの海路を制覇し、水軍王国として活躍しました。 八幡大菩薩の旗を掲げ、朝鮮…

初代藩主吉川広家によって1608年に作られた三層四階の桃山風南蛮造りの山城で、眼下を流れる錦川を天然…

初代藩主吉川広家によって1608年に作られた三層四階の桃山風南蛮造りの山城で、眼下を流れる錦川を天然の外堀にし、標高約200メートルの城山山頂に位置していました。 しかし、築城後8年で一国一城制により取り壊され…

北広島町大朝新庄盆地の南に位置する日野山(標高705m、比高300m)の山頂に築かれた大規模な山城。…

北広島町大朝新庄盆地の南に位置する日野山(標高705m、比高300m)の山頂に築かれた大規模な山城。 1550(天文19)年に吉川元春が入城してから 三男広家が1591(天正19)年に居城を出雲の富田月山城に…

永禄10年(1567年)毛利元就の子、小早川隆景が新たな拠点とするため、沼田川河口の大島・小島をつな…

永禄10年(1567年)毛利元就の子、小早川隆景が新たな拠点とするため、沼田川河口の大島・小島をつないで三原城を築きました。海に浮かんでいるように見え、“浮城”とよばれ、日本で最初に海の中から立ち上げた高石垣があ…

大朝盆地の北方、寒曳山の南の低丘陵上に位置する丘城。 1313(正和2)年、吉川経高が駿河国吉川村…

大朝盆地の北方、寒曳山の南の低丘陵上に位置する丘城。 1313(正和2)年、吉川経高が駿河国吉川村(現静岡県清水市)から移り、築城したもの。 小倉山城に本城を移すまでの約70年間、本拠地として居城しました。 …

県下最大の前方後円墳をはじめとする3基の古墳からなる古墳群で、国の史跡に指定されています。この前方後…

県下最大の前方後円墳をはじめとする3基の古墳からなる古墳群で、国の史跡に指定されています。この前方後円墳は、出土品や規模などから5世紀前半(412年ごろ)の築造と推定され、その被葬者は安芸の南部を中心とした首長と…

山頂からは、眼下に美しい海岸線とむき出しの茶色の岩肌、緑の樹林が織りなす造形美が眼下に広がり、晴れた…

山頂からは、眼下に美しい海岸線とむき出しの茶色の岩肌、緑の樹林が織りなす造形美が眼下に広がり、晴れた日には遠く四国の山影までも望めます。山頂付近は遊歩道がありハイキングコースにも適しています。標高は228mです。

毛利元就が青年期を過ごした城跡

多治比猿掛城は、明応9(1500)年、当時4歳の元就が父・弘元の隠居に伴い郡山城から移り住んだ城です。その後、元就が27歳で本家を相続して郡山城にもどるまでの23年間をこの城で過ごしました。 美土里方面と土…

向上寺の建つ丘に相対する南側の丘陵先端部にあり,かつては海中につき出た岬,現在の瀬戸田の町並は潮入り…

向上寺の建つ丘に相対する南側の丘陵先端部にあり,かつては海中につき出た岬,現在の瀬戸田の町並は潮入り地で,中世に活躍した生口船,生口水軍の船溜と思える。城は40m余の丘陵を中心に北へ1段,東へ郭3段を連ね南へ帯郭…

尾道水道が狭くなる向島の西北,かつての小島に城跡があり,海抜26.4mの最高所を中心に数段の郭城があ…

尾道水道が狭くなる向島の西北,かつての小島に城跡があり,海抜26.4mの最高所を中心に数段の郭城がある。瀬戸内交通の要港尾道を望む向島を得た因島村上氏は,商業資本家的性格をのばす好機として余崎城と共に築き,村上尚…

向島の南につき出た標高56mの観音崎に築かれた海賊城。因島の幸崎城と共に布刈瀬戸をおさえ備後の海上交…

向島の南につき出た標高56mの観音崎に築かれた海賊城。因島の幸崎城と共に布刈瀬戸をおさえ備後の海上交通の要地で,石垣はほぼ完存し,郭等もよく旧状を保つ。城の東の深い湾は船隠しと言われ城の南側には岩をえぐり東西の湾…

城は現在の重井東港にのぞむ50.6mの小丘陵上にあり,比較的旧状をよく保つ郭が5段連なり武者走 り…

城は現在の重井東港にのぞむ50.6mの小丘陵上にあり,比較的旧状をよく保つ郭が5段連なり武者走 りも残る。城の本丸と思える丘頂部に水軍の城らしく竜王社を祭り,城の西南に鬼門鎮守として八幡社を祭っている。  ―…

鎌倉時代以来の厳島神主家の居城。桜の名所であったが、昭和の桂公園の造成により、わずかに郭跡と思われる…

鎌倉時代以来の厳島神主家の居城。桜の名所であったが、昭和の桂公園の造成により、わずかに郭跡と思われるものが認められる。 城の北方にある洞雲寺には、桜尾城ゆかりの藤原興藤、桂元澄、毛利元清、陶晴賢等の墓がある。