原爆ドーム・平和記念公園周辺の現在も活用されている被爆建物

現存の被爆建物を通して平和について考える
  • 広島の日常の街並みの中に、被爆建物が存在しています。
    広島の日常の街並みの中に、被爆建物が存在しています。
被爆建物の中には現役で活用されているものがあり、その中には百貨店といった暮らしと密接にかかわるものも多くあります。より日常の身近なところで活用されている現存の被爆建物を通して、平和について考えてみましょう。
  • 建設当時としては、革新的な鉄筋コンクリート造の建物でした。

    建設当時としては、革新的な鉄筋コンクリート造の建物でした。

  • 今では観光案内所などとして使われています。

    今では観光案内所などとして使われています。

建物内の観光案内所や売店に多くの観光客が訪れる
爆心地からの距離は170m。1929年に大阪の大正屋呉服店が建設し、当時としては革新的な鉄筋コンクリート造のモダンな建物でした。地下室以外は全焼しましたが、建物としての基本的形態はとどめ、戦後は補修のうえ使用されています。1982年から平和記念公園レストハウスとして使われ、建物内の観光案内所やお土産を扱う売店には多くの観光客が訪れています。
  • 広島市内の中心部、本通商店街に沿って建っています。

    広島市内の中心部、本通商店街に沿って建っています。

  • 2020年度以降まで(予定)はこの場所ではなく、中区紙屋町にて移転営業中です。

    2020年度以降まで(予定)はこの場所ではなく、中区紙屋町にて移転営業中です。

改装を行い、活用することで被爆建物を保存
爆心地からの距離は360m。ルネサンス様式を基本とするモダンな建物は三井銀行広島支店として竣工され、被爆当時は合併により帝国銀行広島支店として使われていました。1967年に現アンデルセングループが買い取り、ベーカリーとレストランの複合店「広島アンデルセン」をオープン。今日までに幾度か改装を行い、活用することで被爆建物を保存してきました。現在は2020年度以降のリニューアルオープンに向け、被爆部分の保存も含めて建替えの検討を進めています。
  • ギャラリーとして使われ、広島のアート界で注目されています。

    ギャラリーとして使われ、広島のアート界で注目されています。

広島市の重要有形文化財にも指定
爆心地からの距離は380m。古典様式の優れた外観を有する広島の昭和初期を代表する歴史的建築物で、被爆後も建設当時の姿をほぼ残しました。広島市の重要有形文化財にも指定されています。現在は建物公開も兼ね、イベント開催やギャラリー使用の場として使われています。
  • 爆心地にもっとも近い場所に建てられた小学校で、現在は平和資料館として公開されています。

    爆心地にもっとも近い場所に建てられた小学校で、現在は平和資料館として公開されています。

爆心地にもっとも近い小学校
爆心地からの距離は410m。爆心地にもっとも近い小学校で、広島市内の公立小学校では最初の鉄筋コンクリート造3階建ての校舎として建てられました。建物の一部を保存し、平和資料館として見学できるように公開しています。『はだしのゲン』に出てくる小学校は、この本川小学校がモチーフです。
  • 原爆投下後に壁に残された伝言が、貴重な資料として公開されています。

    原爆投下後に壁に残された伝言が、貴重な資料として公開されています。

旧校舎の一部分を保存し平和資料館として見学可能
爆心地からの距離は460m。被爆当時「西校舎」と呼ばれていた旧校舎の一部分を保存し、平和資料館として見学ができるようになっています。児童や教職員、地域の人々の安否を尋ねるために壁に書かれた伝言が、当時の状況を知る貴重な資料として公開されています。
  • 電車通り沿いの建物の壁は、被爆前に造られたそのままの姿で残っています。

    電車通り沿いの建物の壁は、被爆前に造られたそのままの姿で残っています。

被爆の翌年にはいち早く営業を再開し、広島の復興に寄与
爆心地からの距離は710m。広島を代表する地元のデパートです。当時は珍しい冷暖房設備を備えた近代的な建物で、人で賑わっていました。被爆の翌年にはいち早く営業を再開し、広島の復興に寄与しています。4度の増改築を重ねましたが、電車道路沿いの外観は被爆前の1938年に完成した当時そのままの姿を留めており、今も昔も人の賑わいを生み出す場所となっています。