原爆ドームを深く知ろう

世界平和の祈りを込めたヒロシマの象徴
世界平和を訴えようと市民が一丸となって働きかけ、1996年世界遺産への登録が実現しました。原爆や戦争の悲惨さ、平和の尊さを学ぶために原爆ドームや周辺の慰霊碑、記念館などを観賞してみましょう。
  • 原爆ドームとその南に位置する広島平和記念資料館

    原爆ドームとその南に位置する広島平和記念資料館

  • 空と緑、自然に囲まれて建つ原爆ドーム

    空と緑、自然に囲まれて建つ原爆ドーム

  • ビルが建ち並ぶなか、原爆ドームのもの悲しさが余計に際立つ

    ビルが建ち並ぶなか、原爆ドームのもの悲しさが余計に際立つ

  • 原爆ドームと世界遺産航路

    原爆ドームと世界遺産航路

アメリカは原爆の威力を正確に測定できるよう、投下目標を直径3マイル(約4.8キロメートル)以上の市街地を持つ都市の中から選び、原爆の投下まで町並みを残すため、5月28日に目標都市への空襲を禁止しました。そして7月25日には目標都市の広島、小倉、新潟、長崎のいずれかに対する投下命令を下しました。広島を第一目標とする命令を出したのは8月2日。それは広島にアメリカ軍兵士などの捕虜収容所がないと思っていたためです。原爆は目で目標を確認して投下することになっていました。
8月6日、広島は晴れており、目で目標を確認する事ができたため、原爆が投下されました。
  • 倒壊しなかったものの爆風の凄まじさを物語る原爆ドーム

    倒壊しなかったものの爆風の凄まじさを物語る原爆ドーム

  • 南側から見た原爆ドーム。原子爆弾の恐ろしさを物語る

    南側から見た原爆ドーム。原子爆弾の恐ろしさを物語る

  • 爆風がほとんど上から真っ直ぐ下に働いたことが全壊しなかった理由

    爆風がほとんど上から真っ直ぐ下に働いたことが全壊しなかった理由

原爆は原爆ドーム(当時の広島県産業奨励館)から南東約160メートル、高度約600メートルの位置で炸裂、このときの爆風は1平方メートルあたり35トンの圧力を持ち、風速は秒速440メートルという凄まじいものでした。同館は激しい爆風と熱線を浴びて、火を噴きだして燃え上がったといいます。爆風がほとんど上から真っ直ぐ下に働いたため、奇跡的に厚い側面の壁や鉄骨のドーム部分などは倒壊を免れました。しかし、建物内にいた人は全員即死、建物内部は熱線による火災で全焼という惨事を招きました。鉄骨部がむき出しとなったドームは、いつからか「原爆ドーム」と呼ばれるようになったといいます。
  • 現在も原爆ドームの一部(写真右側)を補強工事中である

    現在も原爆ドームの一部(写真右側)を補強工事中である

  • 間近で見ると、ところどころに補修の跡を見ることができる

    間近で見ると、ところどころに補修の跡を見ることができる

  • 原爆ドーム前の電停からすぐのところにある説明板

    原爆ドーム前の電停からすぐのところにある説明板

  • 二度と悲劇を繰り返さないように、胸に焼きつけておきたい

    二度と悲劇を繰り返さないように、胸に焼きつけておきたい

原爆ドームは通常の文化財建造物とは異なり、破壊された建物を破壊されたときの状態で保存していくことに重要な意味があり、世界遺産として認められた価値を表すことにつながります。しかし、昨今の耐震性の確保や劣化対策のための措置を考えた場合に、原型をいかに残した状態で保存できるかが今後の課題となってくるようです。何十年、何百年と原爆ドームを維持し続けるためには、どのような保存方法と技術が最も適しているのかを考えていく必要があるでしょう。
  • 世界平和を訴えるために残されている貴重な建物

    世界平和を訴えるために残されている貴重な建物

  • 原爆ドームの南に架かる元安橋の上からの眺め

    原爆ドームの南に架かる元安橋の上からの眺め

  • 初夏の花に包まれた原爆ドーム

    初夏の花に包まれた原爆ドーム

  • 秋の紅葉と共に佇む

    秋の紅葉と共に佇む

  • 青空と焼け焦げ剥がれた壁との対比

    青空と焼け焦げ剥がれた壁との対比

  • 夜景の原爆ドーム

    夜景の原爆ドーム

吹き抜けのレンガ造りの建物「広島県産業奨励館」は、ほぼ爆心地で被爆し大破しながらも全壊を免れました。被爆による後遺症で亡くなった、椿山ヒロ子さんの日記をきっかけに、被爆体験を伝える貴重な建物として当時の姿を残したまま保存されることになったのが「原爆ドーム」です。原爆の威力や悲惨さを今に伝えながら、核兵器の廃絶と世界の恒久平和を訴えかけています。
  • 鐘がつかれる部分には原子力のマークがある

    鐘がつかれる部分には原子力のマークがある

  • 平和記念公園南側にある「平和の門」。49ヶ国の言語で「平和」の文字が刻まれている

    平和記念公園南側にある「平和の門」。49ヶ国の言語で「平和」の文字が刻まれている

  • 恒久平和を願う「平和の鐘」の音が鳴り響く

    恒久平和を願う「平和の鐘」の音が鳴り響く

  • 平和の祈りを込めて「原爆の子の像」の鐘を鳴らす

    平和の祈りを込めて「原爆の子の像」の鐘を鳴らす

核兵器の廃絶と世界平和を目指して設置されました。故香取正彦(人間国宝)氏の作品である鐘の表面には、「世界は一つ」を表す国境のない世界地図が刻まれています。誰でも自由に鐘をつくことができるので、平和の祈りを込めて鳴らしてみましょう。
  • 被爆で亡くなった小さな命を慰霊するために建てられた

    被爆で亡くなった小さな命を慰霊するために建てられた

  • 「原爆の子の像」。今も世界中から千羽鶴が届けられる

    「原爆の子の像」。今も世界中から千羽鶴が届けられる

  • 平和を祈るように鶴を掲げる少女の像

    平和を祈るように鶴を掲げる少女の像

2歳で被爆し10年後に白血病を発症して短い一生を終えた少女、佐々木禎子さんを偲び、また同じように被爆で亡くなった多くの子どもたちを慰霊するために建てられた碑です。折り鶴を折りながら闘病生活を続けたという禎子さんの姿を重ね少女の像は折り鶴を掲げています。今も平和を願う折り鶴が世界中から届けられています。
  • 今も火が灯り続ける

    今も火が灯り続ける

  • 灯が1日でも早く消される日がくることを祈って

    灯が1日でも早く消される日がくることを祈って

核兵器廃絶を願って1964年8月1日に点火された灯は、世界から核兵器がなくなるまで燃やし続けられています。台座は大空に向けて手のひらを広げた形を表わしています。
  • 中央の石室には29万人を超える犠牲者の名簿がある

    中央の石室には29万人を超える犠牲者の名簿がある

  • 「原爆死没者慰霊碑」。平和記念資料館本館と原爆ドームの直線上にある

    「原爆死没者慰霊碑」。平和記念資料館本館と原爆ドームの直線上にある

  • 慰霊碑と原爆ドーム

    慰霊碑と原爆ドーム

正式名称は「広島平和都市記念碑」ですが、通称の「原爆死没者慰霊碑」として知られています。中央の石室の中には、国内外を問わず被爆して亡くなった原爆死没者の名簿が納められ、毎年関係者により書き加えられています。慰霊碑の設計は丹下健三氏。
  • 核兵器廃絶と世界恒久平和の実現を訴える目的で開館

    核兵器廃絶と世界恒久平和の実現を訴える目的で開館

原爆による被害の実態を世界の人々へ伝え、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現を訴えることを目的に、1955年に開館されました。東館と本館に分かれ、被爆者の遺品や、写真等の被爆資料を展示し、被爆の実相や原爆投下の経緯、広島の歩みなどについて紹介しています。
  • 被爆体験記等を見ることにより、理解が深まる

    被爆体験記等を見ることにより、理解が深まる

  • 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 外観

    国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 外観

原爆死没者の追悼と恒久平和を祈念するための施設です。原爆投下時刻の8時15分を示すモニュメントがあります。館内では、被爆体験記や、原爆死没者の遺影などを見ることができます。
  • この建物内では地下室にいた唯一人のみ生き延びた

    この建物内では地下室にいた唯一人のみ生き延びた

  • 被爆した室内を残した「レストハウス」地下室

    被爆した室内を残した「レストハウス」地下室

  • 観光の拠点にも利用したい「レストハウス」

    観光の拠点にも利用したい「レストハウス」

被爆当時この建物は呉服店でした。被爆建物は現在、1階が観光案内所や休憩所として利用され土産物販売店も設置されています。地下室は被爆当時のままが残されていて、1階で申し込みをすれば見学が可能です。無料休憩コーナーもあります。
  • 今も大切に残されているアオギリ。春には新緑が芽吹く

    今も大切に残されているアオギリ。春には新緑が芽吹く

  • 被爆樹木を代表する「被爆アオギリ」は、「広島平和記念資料館」東館の北側にある

    被爆樹木を代表する「被爆アオギリ」は、「広島平和記念資料館」東館の北側にある

  • 緑生い茂る アオギリ

    緑生い茂る アオギリ

広島平和記念資料館東館の北側には被爆した樹木・アオギリがあります。このアオギリから採れる種子を発芽させて育てた苗木「被爆アオギリ二世」は、広島市の平和活動の一環として、国内だけでなく世界中に配布され植えられています。
  • 実際の爆心地はこの相生橋から少し南東にずれた位置となった

    実際の爆心地はこの相生橋から少し南東にずれた位置となった

  • 相生橋を渡る路面電車

    相生橋を渡る路面電車

本川と元安川の分岐点に架かる、原爆ドームと平和記念公園を結ぶ橋の一つです。上空から目立つため、原爆の投下目標にされたといわれています。投下時、この橋付近にいた大勢の人がほぼ即死状態で亡くなりました。被爆犠牲者を弔う灯篭流しが、毎年8月6日に元安川下流側で行われています。原子爆弾投下の標的は相生橋だったそうですが、実際には300メートルほどずれて、ここから徒歩数分のところにある、爆心地の「島外科・内科」(旧島病院)の上空600メートルほどのところで爆発したそうです。周辺の地面の温度は3,000~4,000℃にも達したということです。
  • 「袋町小学校平和資料館」の壁に書かれた伝言

    「袋町小学校平和資料館」の壁に書かれた伝言

  • 生存者がいたという地下室の階段を上る

    生存者がいたという地下室の階段を上る

  • 廊下には被爆時の資料を展示

    廊下には被爆時の資料を展示

旧袋町小学校の一部と資料館のある「袋町小学校平和資料館」は、生存者の多くが伝言を書き残したとされる西校舎の壁とともに地下室や教室の一部が残されています。壁に、家族の安否を気遣う伝言の文字が書き連ねてあり、被爆直後の緊迫した状況が伝わってきました。偶然地下にいた児童3人が生き残ったことを聞き、ほんのわずか心が救われたような気がしました。
〒730-0051 広島県広島市中区大手町 1-10
JR広島駅から路面電車(広島電鉄)で約20分。原爆ドーム前電停下車すぐ

※平和・文化イベント ガイド&マップをダウンロードする